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甲府地方裁判所 昭和43年(わ)55号 判決 1969年1月29日

被告人 堀内友子

昭七・一・二三生 雑貨商

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人は、山梨県北巨摩郡長坂町大八田二、八七四番地所在木造平屋建住宅兼店舗(建坪約一一五平方メートル)に居住し、夫賢二と共に食料品雑貨商を営んでいたものであるが、自宅周辺において昭和四二年二月以降発生した火災につき被告人又はその兄弟の犯行であるとの風評が流布され、被告人の弟照重の内妻浅川美江の両親方にもその風評が伝つていることを知るや、自宅に放火して右風評を他に転じさせようと企て、昭和四三年三月四日午前三時頃、夫賢二、長男賢、長女清香の現に住居として使用する右自宅西北隅にある物置内において、三段積の木箱の上に中型マツチ箱約一五〇個入りダンボール、ロー紙、ミネ俵を積み、これにマツチで点火して火を放ち、右建物天井に燃え移らせ、右天井約五〇〇平方センチメートルを焼燬したものである、

というのである。

二、右公訴事実中、被告人が右住所、家屋に居住し、夫賢二と共に食料品雑貨商を営んでいたこと、昭和四三年三月三日(以下月日のみの場合は昭和四三年中を指す)の夕食時に、被告人は弟堀内照重の内妻浅川美江から、二月四日の三井泰彦方火災が被告人もしくは右照重の放火によるものであり、しかも被告人は当時山梨県警察本部防犯少年課長をしていた叔父の堀内知幸に頼んでこれを失火としてもみ消してもらつたとの噂があること、右噂が美江の実家である浅川清水方にも伝つていることを聞いて知つたこと、そして翌三月四日午前三時頃右家屋西北隅にある物置内に於て、三段に積まれた酒木箱の上に普通のマツチの四倍の大きさのマツチ箱が約一五〇個位入つていたダンボール箱が置かれ、右マツチ箱の間にタバコ包装用ロー紙一四・五枚がはさみこまれ、更に右ダンボール箱の上にミネ俵(祝儀用の小型の俵)一個がのせられ、これらが燃え上つて右物置の天井約五〇〇平方センチメートルを焼燬したこと(以下本件火災という)、右火災が何者かの放火によること、以上の事実は司法警察員作成の実況見分調書、領置してある右各材料の残焼物(昭和四三年押第三四号の一の一ないし八及び同号の三)並びに堀内賢二、浅川美江、堀内勝春、堀内賢及び被告人の当公判廷における各供述からしても明らかに認め得るところである。

ところで検察官は右各事実並びに他の諸点を考え併せれば本件火災が被告人の放火によるものであることは十分認められると主張するので(被告人は右各事実は認めるも、本件火災が自己の放火によるものであることは捜査時からこれを否認している)、以下その主張の諸点に対する当裁判所の判断につき順次述べることとする。

三、動機について

まず検察官は、被告人の放火の動機として次の如く主張する。

即ち、被告人方周辺に於て、昭和四二年二月一〇日三井泰彦方店先が一部焼失し、昭和四三年二月四日には右同人宅が全焼し、また同月二八日には小沢周次方が全焼したことにつき、これが被告人又はその弟の照重の放火によるものであるとの噂が流布され、特に被告人は、三月三日の夕食時に、浅川美江から右二月四日の三井方全焼についての前項認定の如きもみ消しの噂と、右噂が美江の実家である浅川清水方にも伝つていることを聞いたことにより、このままこの噂が放置されれば自分達は勿論叔父の知幸の体面を汚すことにもなり、また既に一度結婚に失敗している弟照重と右美江との結婚話が再びこわれるのではないかと恐れ、自宅に放火すれば世間も他に放火犯人がいるものと思い自然に右噂は払拭されるであろうと考え本件家屋に放火したものであるというのである。

なるほど浅川美江が三月三日の夕食時に右の如き噂についての話をしたことは前記認定の如くこれを認め得るのであるが、しかし被告人が、これにより右照重と美江との仲を心配したとの点については、同日午後九時三〇分頃右噂の出所を確めようと訪ねた先の浅川清水方で、同人から照重と美江が別れる意思がないなら問題はない旨の話があつたのであるから(浅川清水の当公判廷における供述)、この点についての心配は解消したものというべく、また噂の出所とみて予め電話をしてまで行くからといつておいた植松茂樹方への訪問も右浅川の言によりこれを思い止つている(浅川清水、堀内照重、浅川美江、被告人の当公判廷における各供述)のであつて、これらのことからすれば被告人は右浅川方からの帰途既に冷静さを取り戻していたものと認め得るのである。

従つて、杉本経秋、藤森昭三及び被告人の当公判廷における各供述から認められるところの、被告人が三月一日には前記小沢周次方の火災の放火材料に被告人方にもあつたタバコ包装用ロー紙が用いられたことを既に承知していたこと、また三月三日照重が長坂警察署で右火災について取調を受けたことについて心配し、憤慨していたことの両事実を前記各事実と共に考え併せるにしても、本件火災が被告人の放火によるものであるとの前提をとるならばいざしらず(本件には他に動機として認むべき事実がないのであるから右前提をとればこれらの事情から検察官主張の如き動機を推認することには合理性があるともいいうる)、右前提を別にすれば、かかる事情から被告人が叔父の体面の問題や自分達にかけられていた嫌疑につき自宅に放火してまでこれを解決しなければならないと思いつめていたとみるにはなお疑問の余地があるといわなければならない。

四、火災保険及び着物等の搬出について

検察官は、被告人方では被告人の発意により三月二日に二〇〇万円の火災保険を締結しており、さらに三月二日夜には照重に頼んで同人宅へ酒、ビール、醤油、菓子類、インスタントラーメン等を、三月三日朝には被告人の御召一式を被告人自身が、同日午後には清香の晴着一式、夏スカート、オーバー及び賢のズボン一本を夫賢二がそれぞれ右照重方へ運び入れているが、これらはすべて本件放火に備えてのことであり、仮にそうでないとしても、右保険を締結し、しかもこれだけの物を搬出していれば、自己の放火により自宅が全焼したとしても事後のことについて心配はなかつたものであると主張する。

なるほど右事実は、堀内賢二、堀内照重及び被告人の当公判廷における各供述、並びに堀内賢二の司法警察員に対する四月一一日付供述調書及び被告人の司法警察員に対する四月七日付供述調書二通によつてこれを認め得るところではあるが、しかし本件放火の直接の動機を生じさせた原因たる前記もみ消しについての噂を被告人が浅川美江から聞いて知つたのは、前示認定のとおり三月三日の夕食時のことであるから、それ以前においてなされた右各事実は、時間的矛盾からしてその理由を問うまでもなく、本件放火に備えたものとみることとはできない。また、右照重方に運び入れた酒や食料等についての、これは被告人方が近く改築の予定で大工数名が照重方に寝泊りすることになつていたので右大工らに供する為のものである、被告人の晴着についての、当時これを借りにくる人がいたのでこれを断る手段である、清香、賢の衣類についての、これは夫賢二が自ら運んだもので自分はよく知らなかつたものであるとの被告人の各弁解も、右各証拠及び小林一夫の司法警察員に対する供述調書、堀内照重の検察官に対する供述調書に照して信用できないものではなく、しかも火災ですべてを焼失する場合に蒙る損害からすればこれらをその焼失に備えて搬出したものとみるには余りにもその種類量からして不十分であるといわざるを得ない。と同時にこの程度の物を運び出してあるからといつて、自宅が全部焼失しても心配がないと考えたとみることはいかにも不自然である。火災保険の締結も、その額は被告人の知つていた従来からの保険金額とあわせても被告人方の家屋その他の動産の合計額からすれば十分とはいえず(堀内賢二及び被告人の当公判廷における供述並びに被告人の司法警察員に対する四月七日付、同人の検察官に対する四月一一日付各供述調書)、また当時は前記認定の如く火災が頻発していた折でもあつたことからすれば、これに備えて保険を締結することはあながち不合理とはいえず、更にこれを締結したからといつて被告人が全焼してもかまわないと考えたとみるには右認定の如きその額からしてもなお疑問の余地もあり、従つていずれにしても右各事実をもつて被告人が本件火災の放火犯だとすることの有力な資料とすることはできないというべきである。

五、出入口について

次に本件の重要な争点である出火時の戸締りの点について考える、本件家屋における人の出入り可能な出入口もしくは窓が一二個所あることは堀内賢二及び堀内賢の当公判廷における各供述並びに前掲実況見分調書により明らかである。しかし本件火災発生時に人の出入りする可能性のあつた個所は、右各証拠によれば勝手場北側のガラス一本引戸(以下一本引戸という)と、店舗西側の心張棒により戸締りをするガラス戸(以下ガラス戸という)、及び店舗西側の古タイヤで押えておいた雨戸部分と考えられる、ところで、右雨戸部分はこれを開けてもその内側には豆炭や塩類等が積んであり、従つて外部の者がここから侵入することは困難と考えられる。次にガラス戸の戸締りについては、堀内賢二の司法警察員に対する三月四日付供述調書及び同人の当公判廷における供述、仁科司郎、三井泰彦、小沢忠男の司法警察員に対する各供述調書、堀内賢の検察官に対する供述調書、堀内勝春の当公判廷における供述からするならば、堀内賢二が三月三日六時半頃、細いメチ棒(天井、壁等をベニヤ板で張る際そのあわせ目等をとめる細い棒)で出来た心張棒をかけたものと一応は認めざるを得ない。更に一本引戸部分は鍵もしていないのでここからの侵入は考えられるにしても、これを開閉するにはガタガタと音がすることが認められ(被告人の司法警察員に対する三月二九日付供述調書、堀内賢二の司法警察員に対する三月四日付供述調書)、そうするといずれの入口についても外部の者がこれらから侵入することは相当困難な状況にあつたといわざるを得ず、従つてこの限りでは本件犯行は外部の者の仕業というよりは内部の者がなした可能性が強いと考えざるを得ない。しかしながら、ひるがえつて検察官主張の如き前記動機との関連に於て、また後記認定の如き消火時の被告人の行動との関連等からこれを考えると、本件火災当時本件家屋は全く外部から侵入し得なかつた状態にあつたとはにわかに即断し難いものと思われる。即ち、本件火災の発生場所が店舗北側奥の物置内であることは前記認定のとおりであるが、仮に被告人が犯人とすれば放火場所に内部を選んだ以上噂を他に転ずるという前記動機からして予め外部から侵入した者の犯行と思わせる為の何らかの工作をなしたであろうと考えるのが普通である。そこで次に被告人がなし得たと思われる工作について考えるに、まず夫賢二がガラス戸にかけておいた心張棒を外しておき、同人がかけ忘れたものと思わせるか、又は外部から開けた際に外れたと思わせるか、自分が最後に家に入つた勝手場入口の鍵をかけ忘れたと装うか、或は一本引戸又は雨戸から入つたと装うかのいずれかをとるものと思われる。しかし最後の場合は右出入口から入ることが困難であること前記認定のとおりであり、勝手場入口については被告人自身はつきり自分が家に入つた時鍵をかけたと供述しており、(被告人の司法警察員に対する三月二九日付供述調書)この入口について何ら工作した跡はない。そうするとガラス戸入口の心張棒をその時期は別としてこれをはずしておいたのではないかとみるのが相当である。ところで被告人は本件火災が賢の消火活動により一応鎮火した後放火材料であるマツチ入りダンボール箱を出火場所からそのまま店舗北側奥の調理台横の流し台の上に持つてきて、これに上から水道の水をかけ、右心張棒でその中味をつき崩し或はひつくり返したりしていたことが認められる(堀内賢二、堀内賢、被告人の当公判廷における供述)。これに対しては、右に述べた如く被告人が、心張棒は夫賢二のかけ忘れたものもしくは外部からの力で外れたものと見せかける為予めこれを外して右流し台の付近に置き、これを使用したものと見ることもできるし、また消火時に必要な為これをガラス戸から外して使用した後夜警の者等が外部から入れるところがあるのかと捜し始めた際咄嗟に右使用した心張棒が外れていたとみせかけたものと見ることもできよう。しかし後者だとすると、侵入者による放火とみせる為の大事な工作を被告人は予め何もしていなかつたということになりあまりに不自然である。といつて前者だとするには何故折角外しておいた心張棒を使用してしまつたのか説明が困難となろう(ダンボール箱の中にあつたロー紙をつき崩す為に使用したと見ることは後記判示の如く無理であるし、又単に外して置いておくだけではかえつて怪しまれると考えて何気ない様子でこれを使用したと見るには、後記の如く放火場所、放火材料の選定等にみられる拙劣さからして果してそこまで考える余裕があつたであろうかとの疑いを生ぜざるを得ない)。従つて被告人が心張棒を使用したことにつき右の如き解釈をするよりは、被告人は消火時にダンボール箱の中に入つていたマツチ箱等がなおくすぶつているのを見て、これをつき崩す等して完全に消火する為にその供述の如く流し台の周辺にあつた心張棒を見つけこれを使用したものと考える方がより自然であると思われる。そうすると、心張棒は被告人がこれを外したものではなく、夫賢二がかけ忘れて流し台周辺に置いたもの、或は他の原因により外れていたものと見なくはならない。しかも右ガラス戸の心張棒は外部から戸を開けようと力を加えて引張ると外れ落ちる可能性のあることは実況見分調書及び堀内賢二の当公判廷における供述によつても認められる。従つて前記の如く堀内賢二等の供述のみからこの出入口から外部の者は絶対に侵入できないと断定するにはなお疑いが残るところであり、右の如くガラス戸には賢二は心張棒をかけ忘れたもの、或は外部から開かれた際外れたものと推理し得る余地が残されていると見なくてはならない。更に一本引戸の入口からも困難ではあるが外部から侵入する可能性がないわけではないから、戸締りの有無から当然本件火災が内部の者の放火によるものと断定することには危険があると考える。

六、夜警について

検察官は、三月三日夜から四日朝にかけては、大久保部落の夜警が被告人方周囲にも巡回してきており、その厳重な警戒態勢からして外部の者が侵入することは不可能であると主張する。しかし右警戒といつても二時間おきに部落内を巡回していただけのものであるから(三井泰彦の司法警察員に対する三月四日付供述調書)、右検察官の主張は説明するまでもなく採り得ないこと明らかである。

七、放火材料について

本件火災の発火材料が四倍型マツチの入つたダンボール箱とその中にはさまれたロー紙一四・五枚それにミネ俵一個であることは前記認定のとおりである。ところで右材料のうちマツチ入りダンボール箱は、前記心張棒のかかるガラス戸入口のすぐ左手にある南側物置の壁際に置かれていたもの(その上に大豆袋が置いてあつたか否かは明らかでない)であり、その箱の側面にはマツチと黒の太文字が書かれていたこと、ロー紙は被告人方で販売しているタバコを包んであつた包装紙であり、これを被告人が捨てずに店舗南西角(ガラス戸入口からすれば、入つてすぐ右に進んでつき当り)のタバコシヨウケースの棚の中にあつたものであること、ミネ俵は清香と賢二が他家の建て前の際にもらつてきたものの内の一個であり、これはガラス戸入口から入つてまつすぐ進んで突き当りの椅子の上に置いてあつたものであること、そして右はいずれも被告人方にあつたものであることは前記実況見分調書並びに被告人の当公判廷における供述によりこれを認め得る。

以上の点から考えると、検察官主張の如く、本件火災を外部から侵入した者の仕業とすると、ロー紙とミネ俵を集めるには暗い店内の陳列台の間を歩きまわらなければならず、ダンボール箱を見つける為には真暗な北側物置にまで入つていかなければならないのであつて、そうすると、店内には他にすぐ燃えるチリ紙等も目につき易い所にあつたにも拘らず何故右の如き材料を危険を冒してまで集めたのか十分説明できず、従つてこの点からすれば本件火災を外部の者による放火と考えるのはいかにも不自然のようにも思われる。しかしながら一方これを被告人の犯行と考えるにしても、内部の者の方が容易に見つけられる材料を用いることは、直ちに本件火災が内部の者の放火によるものであるとの疑いを招くであろうことは誰しも考えつくところであるから、本件の如く他の者に放火の疑いを転ずることを目的とする場合に、このようにかえつて自らに疑いを増すが如き方法を被告人が採つたとすることはにわかに首肯し難いところである。従つて発火材料の点から本件火災が被告人の放火によるものと認めることはにわかに賛し難いといわなければならない。右の如き材料も内部状況に通じている者が懐中電燈を使用すれば、これを集めることは不可能ではないのである。

八、放火場所について

検察官主張の如く外部の者が被告人方に放火しようとするならば、家の周囲にはダンボールや石油等が置かれてあつたのであるから(被告人の検察官に対する四月一六日付供述調書)これに火を放てば足り、敢えて被告人方内部にまで入る必要はなく、又仮に侵入したとしても、既に発火場所として認めた前記北側物置にまで入る必要もないということもいいうるであろう。しかもこの場所は被告人ら四名が寝ていた部屋と隣り合わせであり、その間の壁にはガラス窓があつて不十分ながら物置内を見通せる状況にあつたのであるから、この点からは被告人は出火を適当な時期に発見したと称するに都合の良い場所として右物置を選んだものと見ることもできるのである。しかし更に考えれば、右物置が奥まつた所にあり、外部の者が放火したとみるにはいかにも不自然であるということは、反面本件の動機である外部の者が放火したと装う為にもはなはだ不適当な所なのであつて本件火災が被告人の放火によるとすれば何故このような場所を選んだのか判断に苦しまざるを得ない。もし外部の者の放火と見せるのならば、入口付近もしくは右寝室の窓際にでも放火の跡をつくつておけば足りるのである。にも拘らず、内部の者の犯行と目される危険性の多い右物置内に放火材料を運んだと考えることは、仮にそこが前記のとおり寝室から発見し易い場所であつたとしてもなお解し難い点が残るといわなければならない。従つて右放火場所についても前記放火材料の場合と同様、これをもつて本件火災を被告人の放火によるものと認めるには相当の疑問の余地があるといわなければならない。

九、放火方法について

前記放火材料が、右物置内の西側に積み重ねられた三個の酒ビンを入れる木箱上に置かれていたものであり、その木箱の傍には丸椅子が置いてあつたことは実況見分調書及び堀内賢の当公判廷における供述で明らかである。そして右丸椅子の存在が何を示すかは明らかでないが、放火材料を天井に近づけて置いたことは、本件火災による火災保険の取得を狙つたものとも解し得るが、これはなお推測の域を脱しないものというべく、なお他の推測を十分許す余地があるところからして、この事実を本件火災について被告人を犯人と認める為の一の間接事実とすることは難しいといわなければならない。

一〇、起床時及び消火時の状況について

次に検察官は、被告人の次の如き起床時及び消火時の態度は、予め出火を知つていた者の行動としてしか理解し得ないと主張する。即ちその一は、被告人が本件出火時に長男の堀内賢を起した際、「物置の方が燃えている」といい同人に「見てみろ」といつている点にあるが、しかし右の被告人が言つたという言葉は堀内賢の検察官に対する供述調書によつてのみ認められるものであつて、起床時の被告人の言葉については、同じ検察官に対するものでも堀内勝春及び被告人の供述によるといずれも右の如き言葉を発したことは認められず、又右三名の当公判廷における供述においても同様であつて三名共各々いずれも異なる言葉を発したと供述している有様である。従つて右「物置の方が燃えている」との言葉が発せられたか否かはにわかに認め難いのであるが、しかし仮に右の如き言葉が被告人から発せられたとして考えてみるに、検察官はこれにつき物置との間の前記ガラス窓は火災の為薄明るく見えることはあつても、これからは物置の方が火災であるとは直ちに判断し難いのであるから起き出してガラス窓から出火場所の方を見てもいない被告人が「物置の方が燃えている」と述べたことは不自然であつて、かえつて既に被告人が火災の発生を予め確認していることを示しているというのである。しかし殆んど明りの入らない室内で、前記の如き放火材料が燃え、しかもこの頃は前後の事情からして既に炎は天井にもえうつらんとしていた頃と推認され、炎は相当に明るく上つていたものと思われるから、従つてガラス窓に映る光の状態は相当程度明るくチラチラしていたものと認められる。そしてそのような光の状態は、当然被告人の寝ていた場所からも判別し得たと考えられるのである。また、右窓は物置内のみしか見通せないのであるから、これが明るいのを見れば、右物置内で何か異常があつたと考えることは当然である。しかも本件では炎の明りが右ガラス窓に映る頃、発火材料の一であるマツチの燃える強い刺激臭も寝室内にただよつてきていたことは、堀内賢、同勝春及び被告人の一致して認めるところであり、このことは消火時に右寝室に隣接する部屋の外壁にまで煙がまわつているのを夜警の者らが発見していることからしても十分認め得るところであつて、これらに加え当時は火事騒ぎが続き警戒していた折でもあるから、右の如きマツチの燃える臭に気づき、ガラス窓にチラチラ映る光を見れば、被告人が「物置の方が燃えている」といつたとしてもこれを不自然であるとはいいえないであろう。更に検察官主張の被告人の服装についてであるが、起床時に被告人がセーターに毛糸のズボン下、靴下をはき、ネツカチーフをかぶつていたことは同人が当公判廷で認めるところである。そうすると、これが通常の時であれば不自然とも受取れ、あるいは放火準備をした為もしくは出火時にすぐ起き出せる為のものであつたとも考えられるのであるが、当時はまだ寒い季節でもあり、しかも火事騒ぎが続いていたのであるから、右の如き服装をしていたのは被告人の弁解どおり身体の冷えるのを防ぐ為であり、また火災の際直ちに避難できる為であつたと認めても何ら不合理とはいえない。当時他家の者も着のみ着のままで寝ていたことは小沢勘重の当公判廷における供述によつても認められるところなのである。

次に消火時の被告人の行動であるが、堀内賢及び堀内勝春の当公判廷における各供述、同人らの検察官に対する各供述調書、被告人の当公判廷における供述及び同人の司法警察員に対する三月二九日付供述調書によれば、出火時から消火時迄の被告人らの行動状況は大略次のとおりと認められる。即ちまず賢がガラス窓から物置の方を見て火事だといつて直ちに勝手場に走り出しその水道からホースを物置の方にのばし始めた。勝春はズボンズボンといつて騒ぎ被告人から隣室の炬燵の所にあるといわれてこれをさがしてはきはじめ、その間被告人は清香を起し、賢らの上着、半天等をかかえて勝手場の入口から外へ出た。この頃賢はホースが物置迄届かない為、水、水と叫び、調理台横の流しの水道からボールに水を入れ、これを一、二回燃えているダンボール箱にかけたがその頃被告人が前記賢の叫びを聞いて家の中に戻り、勝手場の水漕からバケツに水を汲みこれを賢の所まで持つてきた。丁度その頃勝春もそこに来たが、被告人から夜警小屋にいる賢二を呼んでくるようにいわれ勝手場入口から駈出していつた。その後賢は被告人の運んできた水をなおくすぶつている天井の辺りに一、二回かけた。その為一応火が消えたので被告人は一旦外に出て衣類等を家に入れ、ズボン、半天を着、賢にも服を着せてから再び物置に入つて燃え残つたダンボール箱をおろし、前記調理台横の流しに持ち込み、水道の水をかけ始め、その際心張棒で箱の中のものをつき崩したりしていた。以上の事実が認められるのであるが、これに要した時間は本件放火材料等の焼失状況から考えても長くて数分程度であつたろうと思われる。とするとこの間の友子の右の如き行動をみて、これを不合理である、又は落着きすぎているということはにわかに首肯し難いところであつて、かえつて実況見分調書及び堀内賢及び被告人の当公判廷における各供述によつて認められるところの被告人が靴下とズボン下のままで土間にとびおり行動している事実は、被告人があわてていたことを物語る証左とも見うるのである。

なお、被告人が右認定の如く一応火が消えたダンボール箱を更に流しに入れて水をかけ、棒でその中味をつき崩す等の行動に出たことに対して、検察官は箱の中に発火材としてロー紙を入れておいた為これをくずし、ロー紙であることを不明にする行為としてのみ理解しうるというが、これに対しては弁護人の主張する如く消火する時点になつて始めてあわててこれをつき崩そうとする位ならば最初からロー紙を使用する筈がないともいいうるし、又ロー紙を使用した動機が仮に小沢方放火犯と同一の犯行と装う為と考えられるならば、なおさらその痕跡を失わしめるようなことをする筈がないともいいうるのである。従つて以上の各点についての検察官の前記主張はにわかに採用し難いというべきである。

一一、その他の点について

なお二、三の点について検討しておく。

まず本件火災の丸二日後の三月六日早朝に被告人方は放火と思われる火災により全焼していることは堀内賢二の当公判廷における供述によつても明らかである。ところで右全焼時と本件火災時との間に、被告人がその家族の住む家を全部焼いてしまわなければとまで思いつめるに至つたと思れる事情は何ら認められない。しかも全焼時前に家財道具を運び出した形跡はなく、又全焼後賢二も被告人も保険金の支払いを強く請求した跡も見当らない。従つて右全焼を被告人の再度の放火行為に因るものと考えるのは難しい。そうすると右全焼に関しては他に放火犯人がいたとも考え得るのであつて、そのことは本件火災についても他に放火犯人がいるのではないかとの疑いを生じさせるのである。

次に川口公夫作成の「ポリグラフ検査結果報告」と題する書面について考えるに、同報告書中の結論部分にはいくつかの反応を「虚偽の返答をしたために生起した反応とも思慮される」との記載もあるが、しかし他の部分では右結論の前提となるべき質問方法の構成につき本件の性質上適切な質問を構成することが困難であり、従つて被検査者の供述の真偽を的確にただすことも、質問により生起した反応を的確に診断することも共に困難であると述べているのであつて、右報告書の科学的信頼性は著しく低いといわざるを得ず従つて右報告書をもつて被告人の有罪の意識の裏づけとなすことは出来ないといわなければならない。

なお被告人の性格について考えるに、被告人の司法警察員に対する三月二八日付供述調書、及び堀内賢二の司法警察員に対する三月四日付供述調書によれば、被告人がある程度勝気な人間であることは認められるもそれ以上に何らか特別な性格をもつていたと認めるに足る証拠はない。もつとも検察官は三月三日の夕食時に前記噂を聞いてからの被告人の行動(植松方への電話、小沢勘重、浅川清水方への訪問)をとらえて被告人が興奮し易い性格であるというが、これは自分や身内の者に放火の疑いをかけられていることを知つた者の行動としては無理もないともいいうるのであり、また仮に被告人の性格が興奮しやすいものであたとしても、性格を中心とする推認には様々な場合が考えられることから、特異な場合を除いては殆んど犯罪事実に対する証明価値をもたないものと考えるのが適当である。

一二、以上説明のとおりで、これを要するに本件犯行に関連ありと認められる各事実は、これらを総合すれば、被告人が本件火災の放火犯人であるとするについての役割も十分評価され得るし、従つて被告人が犯人であると疑う余地も十分あるといいうるのであるが、しかし右各事実については判示説明しきたつたとおり大小の差はあるもそれぞれに疑問が残り、なおつけ加えるならば、右各事実から被告人自身も自己に疑いが及ぶのは判つていたというのであるから(同人の司法警察員に対する三月九日付供述調書)、なおさら被告人が犯人であると考えることには躊躇を覚えざるを得ないし、また被告人の性格はこれを重視し得ないことは前示のとおりであるが、動機もこれによる犯罪事実の認定は二重の推認過程を経るところからして同様これを重視することは危険といわざる得ないのである。

以上の諸点から総合的に本件につき判断すると、検察官提出の全証拠によるも本件火災が被告人の放火行為によるものと確信をもつて認定することは出来ず、なおそこに合理的疑いを容れる余地ありと認めざるを得ず、そうすると結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 降矢艮 宮崎昇 須藤繁)

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